HOME>スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
HOME>■日常の独り言

BUMP OF CHICKEN「天体観測」の歌詞 再分析



なぜかヘビロテになっている
BUMP OF CHICKENの『天体観測』。

最初は歌詞を追うのだけれど、
聞いているうちにどうでも良くなる。

そして、
「あれ、なんか分からないぞ」
となる。

不思議な歌詞だなとは思っていたら、
今日、偶然、以下のエントリーを見つけた。

[音楽]『天体観測』の歌詞を分析するその1 - くりごはんが嫌い
[音楽]『天体観測』の歌詞を分析するその2 - くりごはんが嫌い

分析その8:藤原基央の発言
「人はいつも空を見て生きていると思うんですよ。子供の頃から星に恋こがれて、宇宙の果てのことを想像したり、天体望遠鏡をほしがって星座の名前を覚えてみたりとか。そこでは誰もがいつでも流れ星を探してるわけで。どんな悲しみの中でも喜びの中でも絶対追いかけているものがあると。でも、傷ついた過去や輝いてる過去を引きずるのも、期待に胸はせる未来に思いを託すのも、全然悪いことじゃないと思うんですが、それは全部、いまという要素がなければ成り立たないよと。未来や過去の歌ではなく、僕は”いま “を歌いたいと。いまを大切にしなけりゃどうしようもないと思って生きてるわけで。じゃあ、どうすりゃいいのって言うのは勝手に考えてくれと」



結論:ざっくりと書くが、人間ってのは過去だろうが、未来だろうが、常に何かを探求し続けるべきで、それは見えないモノだったり、見えてるモノだったり、知らないモノだったりするけど、それを探すためにはイマがないと無理だし、何かを探求するためには一人では無理なわけで、そのために誰かを傷つけてしまったりする事もあるよ。



なるほどなー。

素晴らしい分析。
このブロガーは賞賛に値する。

そして、藤原基央という人間が好きになった。
まさかこんなことを考えて『天体観測』なんてつけたとは。
そのセンスには正直に感服する。

「え、好きなバンドがバンプ!?」
なんて馬鹿にしてました。
ごめんなさい。

さて・・・
本題はここから。
別の視点から歌詞を分析。

個人的には、
どういった語の選択、そして展開を行っているのか。
そこに興味がある。

===============
歌詞「天体観測」 - goo音楽
===============

分析をしてみた感想としては、
この曲は壮大な曲で、一人称での話ではなく、
人類史全体を俯瞰的に見た曲なんじゃないか、
ということ。

分析図を公開してもいいのだけれど、
多分意味不明なので、結論だけを以下にまとめました。


【自説の発見】
いつの世の人も、ある1つの導かれた重大な関心事がある。
そして、それは大抵の場合は、
過去の何らかのキラメキによりもたらされた、一定の方向性がある。
つまり、自説がある。

【自分に対抗する数・力・影響力の大きなものの存在】
でも、それは、多くの人の常識から、
反感・反論を生じるものであることもしばしば。

【正当性の強化】
真実を追い求め、必死に専門知識や経験を蓄える。
何度も糸口を掴もうとチャレンジする。
が、なかなか見つからない。

【陥りがちな陥穽】  ※個人的にはココを特に強調したんじゃないかという気がしました。
そのヒントはすごくありふれた形(主観の入らない他人事のような顔をして)で
目の前にあったりするものなのに、
そんなものには気付かなかったり、蔑ろにしがち。
また、反論と似ているから耳を塞ぎがち。

【継承】
そして、後でそのコトの重大さに気付き、打ちひしがれる。
が、その経験を糧にしてさらに関心事を見極めようとチャレンジする。
それが未来永劫続いていく。



結局、この曲は一人称的で、回想をしつつ話が進行しつつも、
 ・時系列的に話が進んでいる点
 ・「2」という数字が頻繁に出てくる点

それが、上記の結論を導く際のヒントでした。
これ、パッと見ると、「天体観測」という言葉の醸し出すイメージも手伝って
科学的な雰囲気が強いですが、
実際のところはそんなことばかりでもないと思います。

音楽性、恋愛観、、、色々な考え方に当てはまるはず。

というか、よくよく見れば、これ、
小説や文学などのストーリーによくある展開じゃないですか。
王道の流れというか・・・。

藤原基央という人、本当に興味を持ちました。

藤原基央 - Wikipedia

特に気になったのは以下の点。

視力が非常に悪く遠くのものがほとんど見えない。初めてメガネをかけてみたときは、あまりに景色が“見えすぎた”ため違和感と恐怖を感じ、すぐに外したとのこと(所持はしており、都合によっては使用する)。



小学生の頃はよく他人と違う意見を主張し、先生を困らせていた。そのせいで同じクラスの女の子を泣かせてしまった事もあった。



“終わり”とか“死”とかっていうものからの逆算(中略)があるから“生きる”ってことを歌うということではない、“生きてる”っていう、この淡々とした現実っていうとこから物事を進めていく



なんとも、納得できる話です。

最後に、

いろんな人のいろんなコンディションで聴き方が変わってもOKなだけのタフネスを、楽曲自体が持っている



ということなので、1つの意見として読んでもらえたら嬉しいです。

関連記事

この記事のトラックバックURL

http://okomelover.blog25.fc2.com/tb.php/404-629f64cf

コメント

コメントする

管理者にだけ表示を許可する

 

Template Designed by めもらんだむ RSS
special thanks: Sky Ruins DW99 : aqua_3cpl Customized Version】


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。